NAMAKEMONO 
 
 MANEGING by +yu-k!+          
 



9月25日(書き者

本日の書き者はちょっと真面目なお話。
いつものように興味のない方はスルーで。


人生80年ってよく言いますよね。
今は医学も進歩してるし
もっと長くなってるかもしれないけどね。

その80年の内に人は何回
"後悔"をするんでしょうね。

まぁ後悔した所で時間は戻ら訳ないし
ソレを乗り越えて行くしかないんですけどね。

私は人生80年だとして
その内の1/4くらしかまだ生きてません。

それでも後悔を感じた数は数え切れなくて、
でも持ち前のポジティブさで
そんな事屁くらいに思って今現在を
のうのうと生きています。


それでもやっぱり
忘れられない"後悔"ってのが
何個かあります。

今日はその内の一つのお話。

私は小学校4年生の時に
『お母さんなんて死ねばいいのに。』
と思った事があります。

父ではなく母に対してです。
思っただけで口に出してはいません。

なぜそんな事を思ったかと言うと
単純に私は母の事があまり好きではなかったから。

うちの姉はちょっとした事故で
長い間入院する事になり
母は姉に付きっきりでした。

当時の*an*はまだ幼く、
たまに母が病院から家に帰ってきても
*an*の相手ばかり。

次女という立場で一番も手も掛からなかった私は
幼稚園の時は母の友人宅に一人預けられ
幼いながらも孤独と知らない人の家で
お世話になっているという事に窮屈さを
感じるようになっていました。

小学校に上がってからも
参観日の日は姉の授業を見て
残りの数十分で私の所へ来ていました。

姉と喧嘩をすれば
『もぅ大きいんだから』
と、味方にはなってもらえず

弟と喧嘩をすれば
『もぅお姉ちゃんなんだから』
と言われやはり味方にはなってもらえなかった。

学校で虐められていると言えば
グーでパンチが飛んでくる。

部屋が汚ければ夜中であろうと
パーでビンタが飛んでくる


そんな母が好きではありませんでした。


そんなある日の日曜日。
朝の10時くらいに起きて洗面所に行くと
母が横たわっていました。

『お母さん眠いの?部屋で寝れば?w』

「・・・ちょっと頭が痛い・・・」

『ふーん・・・』

母は大雑把で不思議な行動を
よくとる人でしたから
さほど私は驚きませんでした。

そしてしばらくして救急車に運ばれ
母は近くの病院へと搬送されました。

そしてその後岡山市内にある大きな病院へと
再び搬送されました。


そして10日後


10日ぶりに見た母は人工呼吸機を繋がれ
かろうじて生きているように見えるものの
実際は機械によって呼吸をさせられているだけで
すでに心臓は止まっていました。


当時小学4年生だった私は
入院して直らない病気なんてないと思っていて
まさか母が逝くなんて思ってもいなくて

まさかあの気丈な母がこんな姿になるとは、
まさかこんな大事になるなんて。

お母さんはきっとスグ元気になって
家に戻ってくるものだと信じ込んでいた。


とても厳しい人で、でも一番私を
可愛がってくれていた
父が泣き崩れていた。

地元から車で1時間半ほども離れている
病院だというのに親戚が集まっている。


そうかぁ。お母さんは死んだんだ・・・


その病院から家に帰るまでの道のりを
まったく覚えていない、思い出せない。


そしてお通夜が行われ
母は白装束に身を包み
次の日にはお棺へと身を移された。

火葬場での事を今でも覚えている。
私は怖くてスイッチを押せなかった。
母が焼かれて骨だけになってしまうことに
どうしようもない恐怖を感じていた。

結局私はスイッチを押すことはなかった。
母は骨だけになり
小さな箱に収められていた。

私はなぜあの時思ってしまったのだろう
『お母さんなんて死ねばいい』と。

あんな事私が思わなければ
母は逝かなかったかもしれない。


『お母さんなんて死ねばいい』
そう望んだ事が現実になったのに
悲しみと後悔しか残らなかった。


私はなぜあの時洗面所で倒れている母に声を
かけてあげなかったのだろう
一言『お母さん大丈夫?』と。

あれだけ疎ましく、好きではなかった母。

母が逝ってから色んな事を思い出した。

姉と差がないように
いつも服はお揃いを買ってきてくれた。
姉のお見舞いに行った帰りはいつも
私の好きな物を買ってきてくれた。
家にいる時は弟の相手をする変わりに
夜はいつも私と一緒に寝てくれていた。

日常の様々なところに母の愛情はあったのに
それに気付いてあげれていなかった。

毎年9月25日。
命日になると貴方の事を思い出します。

37年の短い生涯。
お母さんは幸せでしたか?

少なくとも私はお母さんに生んでもらい
愛情を注いで育ててもらい
今現在、楽しく幸せに日々生きています。

今更言っても声は届かないけど
ありがとう。
そしてごめんなさい。

これからも
貴方の分まで一日一日を姉弟3人それぞれ
日々頑張って生きていきます。

安心はできないだろうけど
もぅ私達3人もいい歳になったから
ちょっとゆっくり休んでください。
お疲れ様でした。

もし本当に生まれ変わりなんて物があるのなら
来世でもお母さんの子供に生まれる事を
願っています。



Sep 25 17:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | ☆書き者達 | 管理

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